憧れの先輩

憧れの先輩が喫煙所のベンチに座っていました。タバコも吸わないのに喫煙所のベンチに座って休憩しているのです。そこで何をしているのかというと、人工甘味料、つまりアステルファームの入った清涼飲料水を飲んでスマートフォンでゲームをしているのです。この人は毎日、サービス残業を4時間以上しています。自分の権利を要求するということを知らないのでしょうか。他の人は、皆、残業代を請求しています。

自分のやっていることに何の疑問も抱いていないのでしょうか。

この人は衛生管理者の資格試験に何回も落ちているそうです。この人は顔は綺麗なのですが、頭はパーなのかもしれません。しかし、その綺麗な顔も、どうやら最近は劣化が進んでいるようです。

この人がスマートフォンのゲームで遊んでいる間に私はスマートフォンでメールでアルバイトに指示を出し、仕事が終わればクレジットカードでアルバイト代を支払います。

この人が遊んでいる時に私は仕事をしているのです。この人は、やはり私の人生のパートナーに相応しくないのかもしれません。


愛媛県松山市へ

父の実家が愛媛県にあったので、久しぶりにお墓参りに行きたいと言うことで、父・母・主人・娘と私の5人で行きました。父の実家の墓参りに松山に行ったのです。

行きは電車(新幹線)で帰りは飛行機でした。東京在住なので行きが電車というのはかなり時間がかかるのですが、父が娘にいろいろな乗り物に乗せてやりたい、と言うので承諾しました。スポンサーが父だったので…。

行くのが春休み中ということだったので値段が高くなると思われましたが、早めに予約したので飛行機は早割りで1人1万しないですみました。新幹線と電車は2回乗り換えたのですが、こちらのほうは1人2万近くかかりました。

東京からのぞみで岡山まで、岡山から特急しおかぜで松山まで、松山から特急宇和海で八幡浜まで行きました。途中きれいな海が見えたり、岡山駅で駅弁を買って特急しおかぜで食べたり、楽しかったのですが、トータル7時間以上は辛かったです。電車の揺れで少し酔ってしまいました。

特急しおかぜと特急宇和海はアンパンマンのラッピング列車で、小さなお子さんがいる家族連れの方たちが写真を撮っていました。我が家の娘はもう小学生なのでそれほど食いつきませんでした。

八幡浜駅には叔父が待っていて、お墓に連れて行ってくれました。行く途中や帰り道で「ここでよく遊んだなぁ」とか「この学校に通っていたんだよ」と父と叔父が懐かしそうに話していました。

その後ホテルにチェックインしました。ホテルは「八幡浜センチュリーホテルイトー」というホテルで、古いのですがスタッフの皆さんがにこやかで感じのよいホテルでした。料金は1人5~6000円程度です。

両親と私たち家族の2部屋を用意してもらったのですが、我が家の部屋にはエキストラベッドを入れてくれました。それが部屋の真ん中にドーンと置いてありびっくりしたのですが、娘は大喜びで「トランポリンみたい!」とはしゃいでいました。

夕食は近くの「あたご」という和食店に行きました。和食のコースを頼んでくれていたのですが、「八幡浜ちゃんぽん」というのが気になり追加して頼んだのですが、これがすごくおいしかったです。海鮮や名物のじゃこ天などが乗っていて、あっさりしているようで出汁がおいしいちゃんぽんでした。

翌日、八幡浜駅に行ったら「はまぽん」というちゃんぽんのゆるキャラの看板が立っていて、かなり八幡浜ちゃんぽんを推しているのがわかりました。すごくおいしかったので八幡浜に行った際にはぜひ食べてほしいです。

2日目は松山まで行き、親戚の家や道後温泉に行きました。

道後温泉はシステムがよくわからず、窓口でどれを頼んでいいのか迷ってしまったのですが、大広間(休憩室?)で休めるのにしました。2階にあがって座布団に案内されると案内の女性が説明してくれるのですが、早口でべらべらとしゃべりまくり行ってしまいました。ちょっと感じ悪かったです。

でもお風呂や座敷はレトロで雰囲気がよく、他のスタッフの方はにこやかだったので、まあ良かったかなと思います。

おみやげはタルトを買いました。タルトと言ってもケーキ屋で売っているフルーツが乗っているタルトではなく、松山では有名な銘菓です。ロールケーキのクリームの代わりにこしあんが入っています。自宅用と友だち用、主人の会社用、義実家用に買いました。

帰りは飛行機で2時間足らずだったので、とても快適に帰ってこられました。
次回行くことがあれば、行きも帰りも飛行機にしたいと思います。

そして松山に立ち寄ったついでに是非、行ってみたいところがありました。

それは松山市で有名な占い師LEOさんのところです。

これですね。
松山市 占い leo

矢野真弓さんの会社、レグルスへ是非、行ってみたいと思ったのです。


海の家と水着とクラゲ

当時女性大生だった私は、同じ大学の女の子5人と逗子の海水浴場にいきました。
皆自宅の場所がバラバラだったので、現地集合ということで、逗子駅に11時に集合しました。
逗子の海水浴場には時々行くのですが、私たちと同じくらいの若い男性、女性が多くいました。
私たちは髪の色もダークブラウンで、水着もカジュアルな雰囲気の、それほど派手でもなく地味でもないような普通の女子大生だったのですが、周りには比較的派手な、ギャルっぽい女の子とか、真っ黒に日焼けした金髪の男の子が割といました。
カップルは少なく、ほとんどが女の子は女の子、男の子は男の子で固まって集団で遊んでいるという雰囲気でした。
私たちはひたすら海に入って浮き輪で浮かんで漂って、社会人になるのが不安だねとか、就職活動って大変なのかなあとか、将来について語り合っていました。
浜辺にいる他の人たちはスイカ割りをしたり、ビーチバレーをしたり、友人を砂に埋めたりとアクティブに遊んでいる人が多かったです。
ナンパをしている男の子も見かけましたが、私たちはほとんど海に浮かんでぼうっとしていたので声をかけられるということはありませんでした。
友達との海水浴ということで、気合を入れて、前日に皆で一緒に水着をあらかじめ買いに行きました。
どの子も水着は大体1万円?2万円くらいの価格のものを買い、2000円くらいの浮き輪やビーチボールも合わせて買いました。
試着の時にも水着姿は見ていましたが、実際に海のところで水着姿を見ると、皆可愛かったです。

でも、一人だけ脇の黒い子がいました。実は私です。

あとで非常に恥ずかしい思いをしました。

これを使っておけば良かったです。

脇の黒ずみ

海で遊んだ後には、海の家でハンバーガーを買いました。ポテトなどがついているプレートで1000円くらいでした。
だるい体を落ち着かせながら、海を眺めてご飯を食べるのは贅沢な気分でした。
海水浴場ではそのほかにペットボトルのお茶を持参したくらいで、当日は交通費くらいにしかお金を使いませんでした。
それもお金がない学生にとっては海水浴が魅力なところでした。
海水浴で唯一大変だったことは、時期がお盆を過ぎていたので、クラゲがたくさんいたことです。
私を含めほとんどの友人がクラゲに刺されてしまいました。
海の中にいる間は全く気づかなかったのですが、上がってみると両足がミミズ腫れになっていてチクチクと痛見ました。
救護室に行き、塗り薬をもらいましたが、しばらく痛かったです。
お盆明けの海には長時間は入らない方がいいなと思いましたし、できればお盆の前に行った方が良かったね、とみんなで言い合いました。


家族の仲が良いだけで子供の幸福度は決まる

私の家族は、母・父・姉・私・妹の5人家族でした。
祖父母は飛行機で行かなければ会えないほど遠い場所に住んでいましたので、年に一度会えるくらいでした。

5人家族で、いわゆる高級住宅街という場所に一軒家を借りて住んでいました。
閑静な住宅街で畑もありますが、都心まですぐに行ける場所で芸能人も多く住んでいたところです。

父は、自営業で2つの会社を営む社長をしており、母は自宅でピアノ講師をしていました。
父はとても自由な性格の持ち主で、休みとなれば釣りやゴルフへ行ったり自宅では釣ってきた魚を自らさばき料理をするようなアクティブな人でした。
一方母は、家事は少し苦手で料理もあまり好きではない性格の持ち主。買い物が趣味なわりに片付けが苦手なのでよくたくさん買ってきては家族に注意される、というおっちょこちょいな性格の持ち主(^^;

三姉妹は基本は仲良しですが、喧嘩がはじまると手がつけられないくらいそれぞれが頑固者でした。
家族全員、O型だったからというのもあるかもしれません。

父は会社を経営しているので、海外へ出張することもありますし、2つの会社を行き来する生活を送っていました。
そのため半月は家に帰ってこない…ということも普通でした。

母は子供たちを保育園には預けず幼稚園へ通わせながら、下の子を抱っこしながらピアノを教えるという仕事を夜までしていたため毎日忙しそうにしていたのを覚えています。

今なら保育ママや託児所などに子供を預けるのが一般的になりましたが、当時は子供を他人に預けることがあまりメジャーではなかったため、父の協力なしに仕事も育児もこなす母は大変だったと思います。

そんな日々を送っていると、当然のように両親の間にはすれ違いが生じてしまい、母は忙しさのストレスをいつしか買い物で発散するようになってしまいました。

ピアノの仕事が終わってから、子供を連れて外食しがてら買い物は日常茶飯事でしたし、時には子供だけを夜自宅に留守番させてまで買い物へ走ったこともありました。
今思うと父がいなくて祖父母にも頼れない寂しさを買い物で埋めていたのだと思います。

久しぶりに父が家に帰ってきても、片付けが出来ていないことに父は怒り、母も言い返す。
そんな喧嘩ばかりが起こるようになってきてしまいました。

夫婦仲が悪いと子供たちは安心して家にいることができません。
久しぶりに父が家にいても、いつ喧嘩がはじまらないかヒヤヒヤしていたこともあります。

そのうち姉が高校生の頃、不登校になってしまい精神的な病になってしまいました。

私自身も高校生で不登校になり学生生活を楽しめなかった記憶があります。
勉強するにも集中力がわかないのです。
妹も後を追うように、表情はあまり豊かではなく反抗期がとても長く続きました。

そんな夫婦仲のため両親は離婚してしまい、とても辛い思いを経験したのを覚えています。

私は、この幼少期の頃の経験を学びとして自分が結婚し子供を持った今、夫婦仲が子供に与える影響はとても大きいと思っています。

例えお金が裕福でなくても、愛情はお金では買えません。

幸いにも夫はとても仲の良い家庭で育ったため、夫のおかげで今の平穏な家庭があります。

両親が不仲ですと、子供の学力が低下することはデータとしてありますし、人間不信に繋がってしまったり親の愛情をもらおうと子供は色んな悪さやワガママをしてしまうこともあると思います。

もし、今家族関係で悩んでいる方がいたら是非自分と家族が笑顔になれる方法をとってもらいたいと思います。

発展途上国にいて経済的に豊かな人よりも、あまり豊かではないけれど笑顔で暮らしている民族のほうが幸福度が高いということも聞いたことがあります。

家族の笑顔、仲の良さは基本です!
両親の仲の良さを見て子供はコミュニケーションを学び、人生に希望を持てるような性格になるのだと私は身をもって感じています!